自分の目指す指導者
近年、書籍、雑誌、インターネット、TVなど通じてサッカーに関する情報量が大変増えて、日本のみならず世界各国の様々な指導理論、指導法、育成法が溢れている。
しかし、指導者はそれらを自分の頭の中で整理し、どれだけ現場で生かすことができているのだろうか?
本来シンプルなスポーツであるはずのサッカーがいつのまにか複雑で難しいものになってしまってはいないだろうか?
自分が言っている理論がだんだん唯の理屈に変わってしまってはいないだろうか?
理屈を聞いているほうはとても退屈だ。
指導者が相手にするのは選手であり理論好きな研究者ではない。
ちょっと個性があって刺激的、そしてサッカーがシンプルなものだと教えられる指導者
それが自分の目指す指導者。
しかし、指導者はそれらを自分の頭の中で整理し、どれだけ現場で生かすことができているのだろうか?
本来シンプルなスポーツであるはずのサッカーがいつのまにか複雑で難しいものになってしまってはいないだろうか?
自分が言っている理論がだんだん唯の理屈に変わってしまってはいないだろうか?
理屈を聞いているほうはとても退屈だ。
指導者が相手にするのは選手であり理論好きな研究者ではない。
ちょっと個性があって刺激的、そしてサッカーがシンプルなものだと教えられる指導者
それが自分の目指す指導者。
東京、足立区の街クラブ クリアージュFC
今年のadidas CAP 2009 日本クラブユース選手権U‐15に関東代表として無名のクラブが出場した。
そのクラブの名はクリアージュFC。 Jリーグの下部組織やJFLに所属するような企業のクラブでもなく、東京都の足立区中心に活動する街クラブだ。
そのような街クラブがJリーグのプロクラブが数多くひしめく東京都予選、そして関東予選までも勝ち抜き全国大会に出場したのはとてつもない快挙だ。
その偉業を達成したのがジュニアユース(中学生年代)の監督を務める丸茂敦監督(32才)だ。
彼との初めての出会いは今から13年前、地球の反対側にあるブラジルのサンパウロだった。
当時、丸茂氏はブラジルで選手としてプレーしており、自分がクリアージュFCの前身のKSクラブでジュニアユースチームを率いていてブラジル遠征に行ったのがきっかけだった。
そこで知り合い帰国後、丸茂氏が日本でチームを探しているときに当時クラブにあった社会人チームで共にプレーし、自分のチームの指導も一緒に手伝ってもらっていた。
そして一時期水戸ホーリーホックに所属していた際には離れたこともあったが、戻ってきた後も共に2年間チームを指導した。
当時、クラブは本格的に強化を始めたばかり、チームは東京都予選のグループリーグで敗退していたが、クラブの名門の三菱養和やブラジルのクラブでプレーしてきた経験を持つ彼の存在は、当時まだ若く試行錯誤しながらやっていた自分にとって大変貴重なものだった。
その後、自分が矢板中央高校のコーチとして栃木に行くことになり、丸茂氏がチームを引き継いでくれたのだ。
その年1999年にKSクラブは足立区内にある他の3つのジュニア(小学生年代)クラブと合併し基盤を広げクリアージュFCと名を改めて新たなスタートを切った。
その頃、グランドでの指導だけでなく、毎日深夜まで事務所に残って働き、時には事務所に泊まってまで仕事していたのをよく覚えている。おそらくそれは今でも変わらないだろう。
丸茂氏を始めクラブは幼児からの一貫指導を行なうなど地道な努力を重ねジュニアユースは都大会のベスト8、ジュニアチームのクリアージュFCロッキーがさわやか杯(東京都大会)で優勝するなど徐々に結果を出し始める。
そして、丸茂氏がチームを率いて10年経った2009年、ついにクリアージュFCは見事全国大会出場を成し遂げた。

日本クラブユース選手権のHPのチーム紹介写真。 全出場チームなかで土のグランドでの写真はクリアージュのみ! その謙虚さとこの選手達の笑顔が勝利の秘訣!?
これはクリアージュFCと同じような多くの街クラブに夢と希望を与える結果になったのではないか。
それになにより長い年月をかけた地道な努力の積み重ねは必ず報われることの証明でもある。
全国大会を経験し、街クラブ、クリアージュFCは今後もさらに発展し続けていくだろう。
その原動力となるのは今も昔と変わらない彼のサッカーに対する情熱だ。
そのクラブの名はクリアージュFC。 Jリーグの下部組織やJFLに所属するような企業のクラブでもなく、東京都の足立区中心に活動する街クラブだ。
そのような街クラブがJリーグのプロクラブが数多くひしめく東京都予選、そして関東予選までも勝ち抜き全国大会に出場したのはとてつもない快挙だ。
その偉業を達成したのがジュニアユース(中学生年代)の監督を務める丸茂敦監督(32才)だ。
彼との初めての出会いは今から13年前、地球の反対側にあるブラジルのサンパウロだった。
当時、丸茂氏はブラジルで選手としてプレーしており、自分がクリアージュFCの前身のKSクラブでジュニアユースチームを率いていてブラジル遠征に行ったのがきっかけだった。
そこで知り合い帰国後、丸茂氏が日本でチームを探しているときに当時クラブにあった社会人チームで共にプレーし、自分のチームの指導も一緒に手伝ってもらっていた。
そして一時期水戸ホーリーホックに所属していた際には離れたこともあったが、戻ってきた後も共に2年間チームを指導した。
当時、クラブは本格的に強化を始めたばかり、チームは東京都予選のグループリーグで敗退していたが、クラブの名門の三菱養和やブラジルのクラブでプレーしてきた経験を持つ彼の存在は、当時まだ若く試行錯誤しながらやっていた自分にとって大変貴重なものだった。
その後、自分が矢板中央高校のコーチとして栃木に行くことになり、丸茂氏がチームを引き継いでくれたのだ。
その年1999年にKSクラブは足立区内にある他の3つのジュニア(小学生年代)クラブと合併し基盤を広げクリアージュFCと名を改めて新たなスタートを切った。
その頃、グランドでの指導だけでなく、毎日深夜まで事務所に残って働き、時には事務所に泊まってまで仕事していたのをよく覚えている。おそらくそれは今でも変わらないだろう。
丸茂氏を始めクラブは幼児からの一貫指導を行なうなど地道な努力を重ねジュニアユースは都大会のベスト8、ジュニアチームのクリアージュFCロッキーがさわやか杯(東京都大会)で優勝するなど徐々に結果を出し始める。
そして、丸茂氏がチームを率いて10年経った2009年、ついにクリアージュFCは見事全国大会出場を成し遂げた。

日本クラブユース選手権のHPのチーム紹介写真。 全出場チームなかで土のグランドでの写真はクリアージュのみ! その謙虚さとこの選手達の笑顔が勝利の秘訣!?
これはクリアージュFCと同じような多くの街クラブに夢と希望を与える結果になったのではないか。
それになにより長い年月をかけた地道な努力の積み重ねは必ず報われることの証明でもある。
全国大会を経験し、街クラブ、クリアージュFCは今後もさらに発展し続けていくだろう。
その原動力となるのは今も昔と変わらない彼のサッカーに対する情熱だ。
名実況解説者アンドレース・モンテス(Andres Montes)
先日、スペインのLa SextaやCanal +という民放テレビ局でサッカー、バスケットの試合の実況解説を行なっていたAndres Montes(アンドレース・モンテス、享年53歳)が亡くなった。
彼の中継はすごく独特でとても個性的だった。
例えばバルサ戦の中継ではプジョルがボールに寄せると『サメ(tiburon)、サメ、サメが来たー!』と連呼し、凄まじいスピードでサイドを駆け上がるダニ・アルベスには『モトGP(モーター・グランプリ)がサイドを駆け上がる!』と叫び試合をより一層盛り上げてくれた。
また、連続して華麗にパスが繋がったり、ゴールが決まると彼が創り出した言葉Tiki-Taka(ティキ タカ)を連発し(日本語のイメージだと『ピンパン』)、この言葉はたちまちブームになった。
自分はこちらでTAKA(タカ)と呼ばれているので初対面の人に会うと必ず『Tiki-TakaのTAKAね。』といつも笑いながらすぐに自分の名前を覚えくれたものだ。
そしていつもスパープレーがあった時や、感動的な試合の後の閉めの言葉
LA VIDA PUEDE SER MARAVILLOSA.
(人生は素晴らしいものになりうる。)
は彼の数ある名文句の中で自分の一番好きな言葉だ。
テレビを通じて勇気と希望を与えてくれた彼のご冥福を心からお祈りいたします。
ありがとう、アンドレース!
La sextaのニュース番組で放送されたアンドレース・モンテスのメモリアル
彼の中継はすごく独特でとても個性的だった。
例えばバルサ戦の中継ではプジョルがボールに寄せると『サメ(tiburon)、サメ、サメが来たー!』と連呼し、凄まじいスピードでサイドを駆け上がるダニ・アルベスには『モトGP(モーター・グランプリ)がサイドを駆け上がる!』と叫び試合をより一層盛り上げてくれた。
また、連続して華麗にパスが繋がったり、ゴールが決まると彼が創り出した言葉Tiki-Taka(ティキ タカ)を連発し(日本語のイメージだと『ピンパン』)、この言葉はたちまちブームになった。
自分はこちらでTAKA(タカ)と呼ばれているので初対面の人に会うと必ず『Tiki-TakaのTAKAね。』といつも笑いながらすぐに自分の名前を覚えくれたものだ。
そしていつもスパープレーがあった時や、感動的な試合の後の閉めの言葉
LA VIDA PUEDE SER MARAVILLOSA.
(人生は素晴らしいものになりうる。)
は彼の数ある名文句の中で自分の一番好きな言葉だ。
テレビを通じて勇気と希望を与えてくれた彼のご冥福を心からお祈りいたします。
ありがとう、アンドレース!
La sextaのニュース番組で放送されたアンドレース・モンテスのメモリアル
イングランド・ウィーガン流選手教育
そのプレミアリーグのウィーガンの話を聞いて最も感心したこと。
トップチームの試合がホームで開催される場合にメンバーに入らなかった若手選手が他の選手より早くスタジアに集合して、ロッカールームに入り、各選手のユニホーム、スパイクなどの用具の事前準備を全て行うそうです。
プロ選手相手といえどもクラブがしっかり教育をしている。
さすがイングランド!
日本のクラブも取り入れてみてはいかかでしょうか。
トップチームの試合がホームで開催される場合にメンバーに入らなかった若手選手が他の選手より早くスタジアに集合して、ロッカールームに入り、各選手のユニホーム、スパイクなどの用具の事前準備を全て行うそうです。
プロ選手相手といえどもクラブがしっかり教育をしている。
さすがイングランド!
日本のクラブも取り入れてみてはいかかでしょうか。
ロマン・ゴロバル、プレミアリーグへ!
昨シーズンまで2シーズンに渡りEUROPA(エウロパ)のユースチームで数々のエピソード"を残してくれたROMAN GOLOBART(ロマン・ゴロバル、17歳)が今シーズンからイングランドのプレミアリーグ、ウィーガンのトップチームと契約しました。

写真右 ロマン・ゴロバル
ウィーガンの監督ロベルト・マルティネスはスペイン人(カタルーニャ人)でゴロバルの才能と将来性を高く評価。
当分はリザーブリーグでの出場になりますが、彼にとって外国でプレーすることは選手としても人間的にも大きく成長させてくれるでしょう。
プレミアリーグ出場を目指し頑張ってほしいと思います。

写真右 ロマン・ゴロバル
ウィーガンの監督ロベルト・マルティネスはスペイン人(カタルーニャ人)でゴロバルの才能と将来性を高く評価。
当分はリザーブリーグでの出場になりますが、彼にとって外国でプレーすることは選手としても人間的にも大きく成長させてくれるでしょう。
プレミアリーグ出場を目指し頑張ってほしいと思います。
奇跡の瞬間 CASTELLERS カステジェルス(人間の塔)
たまには、サッカーからはなれて休憩を。
今回はカタルーニャ地方の伝統競技CASTELLERSカステジェルス(人間の塔)をご紹介します。
不可能が可能になる奇跡の瞬間を是非ご覧下さい。
Vilafranca(ビラフランカ)チームによる3人組み9段から1列変形 2009年8月31日 ビラフランカ町夏祭にて
人間は団結すればなんでもできるものですね!!!
今回はカタルーニャ地方の伝統競技CASTELLERSカステジェルス(人間の塔)をご紹介します。
不可能が可能になる奇跡の瞬間を是非ご覧下さい。
Vilafranca(ビラフランカ)チームによる3人組み9段から1列変形 2009年8月31日 ビラフランカ町夏祭にて
人間は団結すればなんでもできるものですね!!!
FCバルセロナ下部組織のアフリカ旋風
新シーズンがスタートし今週からいよいよ全ての年代のカテゴリーでリーグ戦が始まりました。ユースの1部リーグ以外のリーグは全てカタルーニャ州内で行なわれています。
昨年は全てのカテゴリーでバルサが優勝。 ライバルのエスパニョールを寄せ付けず圧倒的な強さを誇りました。そのバルサの下部組織の中でここ近年目立つのはアフリカ系の選手の活躍です。
バルサは各年代のチームに約3〜4人のアフリカ系の選手を抱えています。
自分がバルサの育成部長から聞いた話によると彼らの多くはカメルーンにあるエトー基金設立のサッカースクール出身で、そのサッカースクールには寄宿所完備で約3000人の選手が所属しているそうです。その中から選ばれた選手がバルサに送られるそうです。(エトーがインテルに移籍したので今後バルサへの供給が止まるかもしれませんが。)
彼らはもちろん技術も高いですが、際立つのが体格です。
例えば11歳のチームで身長約175cmの選手、13歳で185cm近くの選手などの選手がいて、足の太さはプロ選手並みです。
試合を見るたび本当にこの年齢なの・・・とどうしても疑ってしまうほどです。
当然、彼らはリーグ戦では圧倒的なスピードとパワーで他のチームを圧倒し毎試合簡単に大量得点を重ねています。
もし本当にその選手達を育てたいならその体格に見合った上の年代のリーグで戦わせるべきではないかと自分は思いますが・・・

しかし、なぜそうしないかというと、もしバルサがアフリカ人の選手抜きで戦うと他のチームとレベルが拮抗してバルサといえども苦戦が強いられるからです。
バルサの名において負ける訳にはいかないのでしょう。
はたしてこの選手達が将来どうなっているか?
結果は数年後にわかるでしょう。
昨年は全てのカテゴリーでバルサが優勝。 ライバルのエスパニョールを寄せ付けず圧倒的な強さを誇りました。そのバルサの下部組織の中でここ近年目立つのはアフリカ系の選手の活躍です。
バルサは各年代のチームに約3〜4人のアフリカ系の選手を抱えています。
自分がバルサの育成部長から聞いた話によると彼らの多くはカメルーンにあるエトー基金設立のサッカースクール出身で、そのサッカースクールには寄宿所完備で約3000人の選手が所属しているそうです。その中から選ばれた選手がバルサに送られるそうです。(エトーがインテルに移籍したので今後バルサへの供給が止まるかもしれませんが。)
彼らはもちろん技術も高いですが、際立つのが体格です。
例えば11歳のチームで身長約175cmの選手、13歳で185cm近くの選手などの選手がいて、足の太さはプロ選手並みです。
試合を見るたび本当にこの年齢なの・・・とどうしても疑ってしまうほどです。
当然、彼らはリーグ戦では圧倒的なスピードとパワーで他のチームを圧倒し毎試合簡単に大量得点を重ねています。
もし本当にその選手達を育てたいならその体格に見合った上の年代のリーグで戦わせるべきではないかと自分は思いますが・・・

しかし、なぜそうしないかというと、もしバルサがアフリカ人の選手抜きで戦うと他のチームとレベルが拮抗してバルサといえども苦戦が強いられるからです。
バルサの名において負ける訳にはいかないのでしょう。
はたしてこの選手達が将来どうなっているか?
結果は数年後にわかるでしょう。
ラジオ出演
先日こちらでスペインのラジオ番組に出演してきました。
ラジオの出演は今回で2回目。
前回はサッカーの番組にスペインサッカー界で働く日本人コーチという立場で出演しましたが、今回は世界各国のカルチャーを紹介する新番組で、初回のテーマは 「日本」。
そこで、ラジオ局で働く知人から日本人である自分に出演の依頼が来たのです。
当日、ラジオ出演は2回目ということで緊張はさほどないものの、一応どんなことを聞かれるのか収録前に確認しようと、番組のパーソナリティに質問すると
『心配することはないよ。日本の一般的なことを雑談するだけだよ。』 と言われたので、大丈夫かなと軽く思っていた。
いざ収録がスタートし、まずは日本の基本的地理から始まり人口密度の高さなどを紹介。それからはよくある寿司などの食文化の話が始まった。
『日本の地方のある田舎の方ではなんとイナゴを食べる。』 と、スペイン人コメンテーター。
『自分は食べたことはないけどイナゴを食べる地域は確かにあるよ。』 と、無難なコメントを返す。
出だしは問題なし。
次の話題はスポーツということで、いよいよ得意分野のサッカーの出番かと思ったら相撲の話に。司会者が基本的な相撲のルールを説明。
『TAKA、実際に相撲とはどんなスポーツなの。』 と、質問される。
別に相撲好きではない自分は
『日本で伝統のある競技で、すごく肉体的(フィジカル)だが高いテクニックが必要とされるスポーツ』 と、コメント。相撲を深く語れるほど相撲の知識は持ち合わせていませんから・・・
話題は続いてカラオケへ。
カラオケは自分が一番苦手な物のひとつ。よく家の中では歌っているが、妻には 「人前ではあまり歌わないほうがいいよ!」 と言われている・・・
カラオケについては 『スペイン人が飲んだあとに必ずディスコに行くように、日本人は飲んだ後にはよくカラオケに行くんだよ。』 と、頑張って及第点(自己評価)の解答。
さらにカラオケ話から日本人はどんな曲を聞いているかという話題へ。
するとまず出てきたのは、なんと『ピンクレディー』。ピンクレディーって自分がまだ幼稚園に入る前の頃のグループじゃないか! 一体どこから調べてくるのだ!?
どうやら番組のスタッフがインターネットで見て感動したらしい。
続いて『Mr.チルドレン』。昔からほとんど邦楽を聴かない自分は略して『ミスチル』と呼ばれていることくらいしか知らない・・・とりあえず首を横に振って自分に話を振るなと合図する。
最後に流れた曲は、テクノ調のわりと最近のもののような知らない曲。
司会者が、これは日本の超人気アイドル歌手の浜崎あゆみの曲と説明。全く知らない・・・
逆に自分がスペイン人に日本の話題音楽を教わってしまった。
自分がその説明を聞きながら 『へえー。』 と感心して頷いていると、司会者は、自分が浜崎あゆみが大好きだと思ったのか 『TAKA, 浜崎あゆみの曲を歌ってくれ!』 と、とんでもないことを突然頼んできた。
あれだけ有名な歌手だと紹介された直後に 『浜崎あゆみの曲はひとつも知らない。』 と日本人ゲストとして言い難い。まして妻には人前で歌うなといわれているわけで。
冷や汗をかきながら 『NO!NO!恥ずかしいから勘弁してよ!』 と、笑いながらも頑なに拒否。
なんとか最大のピンチを乗り切った(苦笑
自分がだんだん弱ってきたところ、最後の話題はアニメに。
最初に紹介されたアニメは『アキラ』。 うーむ、微妙なのがきた・・・
アニメ史にとって重要な作品だとは知っているが、未来モノといえば自分にとって『機動戦士ガンダム』以外になし。今度は勘違いされないように無表情を装い、それとなくコメントを拒否。
次に紹介されたアニメは、こちらでも何度もTV放送されているドラゴンボール。よしこれならイケると思いきや、司会者は自分には話しを振らず話しまくり出番はなし。
そして収録の最後の話題は、スペイン名 『オリベル・ベンジ』 こと 『キャプテン翼』。
キターッ!!! これこそ自分の得意分野!
今回はオレに振れと、目を最大限大きく開いて司会者にアピール。しかし、司会者は全く気付いてくれないので自から話に割って入って、
『自分が7歳の頃、このアニメをみてサッカーを始めたんだ!』
『オリベルは日本名では「オオゾラ・ツバサ」といって、ベンジは「ワカシマズ・ゲンゾウ」というんだよ。』 と、ここぞとばかり上げ調子で言い切った。
あっ、しまった・・・自分の犯した最大のミスに気付いた。
「ワカシマズ」 じゃなくて 「ワカバヤシ」 だった・・・
二人とも同じゴールキーパーなのでつい間違えてしまった・・・
自分の得意分野で視聴者に嘘情報を流してしまったショックから立ち直れないまま番組収録は終了。スタッフ、出演者に挨拶をして深夜の1時ラジオ局のビルを出る。
一人車中、今回のラジオ出演を回想し、
『今まで日本人として誇りを持って生きてきたつもりだけど、オレって実はあまり日本人らしくはないんだな・・・』 とつくづく思い、なにかすごくブルーな気持ちで帰宅の途についた。

